アラカンおやじのセミリタイアライフ

55歳で早期退職したサイドFIREおやじが日常と昔話を綴ります

はじめての海外旅行【サンフランシスコ編】

大学生だった30年以上前、バックパックひとつ担いで「地球の歩き方」を片手に、まだ開港したての成田空港からはじめてのアメリカ旅行に出発しました(【成田空港編】はこちらへ)。

 

カルチャーショックその①「おじいさんの古エレベーター」:

シアトル経由でアメリカに初上陸し、最初に訪れたのはサンフランシスコ。個人旅行ツアーの送迎バンに乗り、「そびえる壁」かと思うほどの見たこともない高い登り坂と、奈落の底に落ちるかのような下り坂をジェットコースターのようにいくつも越え、初日一泊分だけ日本で予約したパウエルホテルに夕方到着しました。翌日からの宿は自分で予約する必要があり、バイブル「地球の歩き方」で決めていた近くの安ホテルにカタコトの英語で電話を掛け、無事翌日から3泊の予約を取ることができました。歩いて1分のところにある「オリンピックホテル」です。たしか1泊15ドル程度(安っ!)だったと記憶しています。翌朝早速そのホテルに向かい、チェックインしました。部屋は3階で、トイレとシャワーは各階共同。エレベーターはあるものの、まず鉄格子の扉を手で開いて乗り込む超レトロな「カゴむき出し」タイプでした。昔の映画によく出てきたアレです。とてもスローで3階まであがるのに階段と同じくらいの時間がかかりましたが、階段は建物の外にある非常階段しかないのでエレベーターを使うしかありませんでした。

 

カルチャーショックその②「チップの国」:

オリンピックホテルはサンフランシスコ名物ケーブルカーの始発停留所にほど近く、それに乗って市内観光に出かける計画を立てていました。自動券売機を見つけたので切符を買おうとお金を入れるのですが、すぐに返却口から返ってきてしまいます(吸い込まれなかっただけマシですが)。おかしいな〜と何度もそれを繰り返していると、道端に座っていた身長2mくらいの黒人の兄ちゃんがやってきて、「ヘイ、兄弟!まず行き先ボタンを押してからお金を入れるんだゼ!!」と親切に教えてくれました。「サ、サ、サンキュー!」とビビりながらお礼を言うと、ニコニコしながら「それだけか?」と言って手のひらをワタシに突き出してきます。最初は何のことかわからずポカンとアホ面していると、ワタシの手にある切符のお釣りを指差しチップをよこせと。いくらが適当なのか咄嗟にはわからず、25セントコインを渡すとあからさまに渋い顔。さらに25追加しても変わらず。。。結局75セントを渡したら渋々納得してくれて、無事開放されました。当時切符が何ドルだったか覚えていませんが、チップの割合として予習していた15%よりは高かったと記憶しています。チップの国アメリカでワタシが最初に払った相手は、このホームレスのお兄ちゃんでした。

 

カルチャーショックその③「チビリそう」:

その頃のアメリカは、急増するホームレスが社会問題になっていました。実際サンフランシスコでも大勢のホームレスが、路上のあちこちで段ボールにくるまって寝ていました。ある時、まだ喫煙をしていたワタシがベンチでコーヒーを飲みながらタバコを吸っていると、どこからともなくホームレスのおっちゃんがやってきて「ギブミー シュガー!」とすり寄ってくるのです。ワタシは「これはブラックコーヒーだから砂糖なら持ってないよ」と追い払おうとするのですが納得してくれません。何度か押し問答を繰り返した後、「シュガー」ではなく「シガー(シガレット)」と言っているのだと分かり、日本から持ってきた免税タバコを1本恵んであげました。そうすると、あっという間にどこに潜んでいたのか4、5人のホームレスがやってきて「オレも、オレも」と手を差し出してきたのです。半ダースほどのホームレスたちに囲まれて怖くなったワタシは、開けたばかりのタバコ1箱を彼らに渡し、チビリそうになりながら急いでホテルに逃げ帰りました。

一歩外出するとホームレスだらけ、ホテルの部屋で寝ていても一晩中パトカーのサイレンがガンガン鳴り響く街でいきなりアメリカ一人旅の洗礼を受けたワタシは、早くも無謀な旅に出たことを海より深く後悔しはじめたのでした。


【次回ロサンジェルス編に続く】

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